2007年9月21日金曜日

「常用漢字表」という戰後レジーム(2)~「同音の漢字による書きかえ」のこじつけ ~

昭和31年7月の国語審議会報告により「障碍」は「障害」と書きかえられることとなったわけだが、これに限らず、この時の報告の内容については一部から多く批判されている。もともとこの「同音の漢字による書きかえ」の目的は、当用漢字外とされたために漢字假名交ぜ書きにせざるを得なくなった熟語をなんとかして漢字で表そう、とするものであったため、「苦心してひねり出しました」的な色彩が見てとれるのである。

これについては、既にわかりやすくまとめられたサイトがあるので、そちらを御覽いただいた方がよいと思う。

http://seijiseikana.g.hatena.ne.jp/keyword/%E5%90%8C%E9%9F%B3%E3%81%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%9B%B8%E3%81%8D%E3%81%8B%E3%81%88

http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/rekishi/Doonnokanjiniyorukakikae.html

(註:私は必ずしもこのサイトの主張に全面的に贊同しているわけではありません。あくまでデータベースとして參照してください。そこらへんの考え方も次囘以降詳しく述べます)

で、これらについては、素人の私が見ても「それはどうなのよ」というものが少なくなく、批判する人の言い分にもうなずけるものがある。特にひどいと思うのは、あまり上品な例ではないが「黴毒→梅毒」のように意味を無視して書きかえてしまっているものである。これは漢字の表意性を無視しており、だったらまだ交ぜ書きにした方がましだと思う。現に「黴菌」は「ばい菌」としてメジャーな単語になっているわけで。この語を見て「なんで梅が關係あるんだろう?」と思ったことはないだろうか。「黴」が「かび」という意味だとわかって初めてこれらの語の意味が納得できるものだと思うのである。

「障碍→障害」についても、「妨碍→妨害」もそうだが、意味が微妙に變わってしまっていると思われるのである。「害」だと「さまたげる」って感じじゃないものねぇ。

つまり、リンク先でも指摘されていることだが、これらの書きかえは、戰後のドサクサまぎれに作られた「当用漢字表」に合わせるための「こじつけ」なのである。その副作用が現在における「障がい者」表記問題だと私は考えている。それにしても、自分でルールを作って、それがうまくいかないとなると、元に戻すのではなくルールを追加して辻褄を合わせようとするやり方というのは、最近の「障害者自立支援法」をみても分かるとおり、昔も今も役所仕事というのは變わりませんなぁ。

そして、先の「黴」の例で述べたとおり、これらの書きかえにより、元元あった合理性を缺いてしまっているケースがあるのである。リンク先に詳述されているが、「蒐荷」は「集荷」に書きかえられたのに「蒐集」は「収集」に置きかえられたのである。これは推測するに「蒐→集」だと「蒐集」が「集集」になっちゃうし、かといって「蒐→収」だと「蒐荷」が「収荷」になっちゃってちょっと意味が違う、ということでやむなくこうしたのだと思われるが、まさにデタラメであり、こじつけっぷりを如實に示す例だと思うのである。大体「当用漢字表」って漢字の數を制限しようとして作ったんでしょうが。元元同じだったものを書き分けてバリエーションを増やしてどうする。矛盾してるのである。

ただ、恐ろしいのは、これらの多くは現代において主流となってしまっていて、現代の人人はこうした「こじつけ」で作られた熟語表記にすっかり慣らされてしまったということである。「当用漢字表」と違いこれ自体はもともと国語審議会の「報告」でしかないのに、あたかもそれが拘束力を持つかのようにとらえられ、右にならえで皆がそれに從ってしまったという事を考えるに、私は慄然とするのである。非常に大袈裟に言えば、これは公權力の一方的なイデオロギーによる文化の破壞であり、タリバンによるバーミヤンの大佛破壞とベクトルの向きは同じなのである。戰後教育を受けた現代人はもはや「当用漢字表」とその副産物の呪縛から逃れられなくなってしまったのだから。しかもそれで結果的にうまくいったのならいいが、こうして副次的な間題が樣樣出てきちゃってるのだから救い難い。

結局、私が一番言いたいのは「戰後の漢字『合理化』施策は漢字の表意性を輕視しており、その結果むしろ漢字の合理性を損ねている」ということなのである。この主旨をふまえて、今後も話を進めたいと思う。今囘は「同音の漢字による書きかえ」のみに言及したが、これからはその元兇である「当用漢字表」の問題點についても糺していきたいと思う。まぁそうなると大仕事なので次囘ということで。つかまぁいろんな人が既に指摘していることだとは思うのでそちらを見た方がいいかもしれないけど。

2007年9月19日水曜日

「常用漢字表」という戰後レジーム(1)~「障がい者」表記問題の發端 ~

ここ数年、福祉分野では「障害者」という漢字表記の撤廃が騷がれている。「害」の字がネガティブな印象を與える、ということであり、「障がい者」と表記を改めた自治體もある。ただ法律上は「障害者」のままであり、交ぜ書きへの抵抗もあってか「障がい者」の表記は未だコンセンサスを得るまでには至っていないとみられる。

この問題について語られる時に、以前は「障碍者」と書かれており、「碍」は「害」の意味とは違う、とされることがある。辭書によると「碍」は「さまたげる」という意味で、現在でも電線の絶縁に用いられる器具に「碍子」の名が用いられている。

ではなぜ「障碍者」は「障害者」に改められたのか。それは、戰後すぐ、混亂の中行われた漢字制限施策に端を發しているのである。

昭和21年11月16日内閣告示第32号で、時の宰相吉田茂の名において「当用漢字表」が定められ、「現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字」として1,850字が示された。これは「法令・公用文書・新聞・雑誌およぴ一般社会で、使用する漢字の範囲」とされ、「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする」ことを指示しており、漢字制限の意圖が色濃いものであった。
(昭和56年にこの告示は廢止され、現行の「常用漢字表」に改められるが、これは「一般の社会生活における、現代国語表記上の漢字使用の目安」とされており、漢字の數を制限するという趣旨は薄くなっている。)

この「当用漢字表」に「碍」の字は含まれなかったのである。その結果「障碍」は「障がい」と書き改められることとなったわけだが、やはり漢字假名交ぜ書きは当時の人人にも受け容れ難かったようで、昭和31年7月5日に国語審議会は「同音の漢字による書きかえ」について文部大臣に報告を行うこととなる。これにより「障碍」の「碍」は当用漢字である「害」に書きかえられ、「障害」と表記されることとなった。

これが、現在に至る「障がい者」表記問題の直接の引き金となったわけなのである。

(次囘に續く。漢和辭典と首っ引きで疲れちゃった。舊字體使用のポリシーについてもあとで述べます)

2007年8月27日月曜日

手書き入力の一つの利點

一般にタブレツトPCの手書き入力はキーボードの代替にはならないやうな云われ方をしてゐるが、日本語變換ソフトで對應しづらい文章、例へば方言や、古文の入力などには向いてゐるのではなからうか。
と思つて舊字舊假名遣ひにチヤレンジしてみたが、結局一一調べるのにおそろしく時間がかゝるので早早に斷念。戰後の漢字の字體改惡には私自身は反對なのだが、やはり教育の力と云ふものは大きく、頭に刷り込まれてしまつたものはどうしやうも無い譯である。

※註:「間」「教」の 舊字體は機種依存文字なので止むを得ず新字体としました。

2007年6月24日日曜日

そもそもMMORPGはRPGじゃない

つかそもそもMMORPGに「RPG性」を求めること自体が間違いなのだ、ということをとあるサイト見て気づいた。
「MMORPGってのはそもそも『テーマパーク』」なんだと。だからそこには「ゲーム世界独自の時空間」を設けるのではなくあくまで現実世界の見た目、「スキン」を変更したものがあるのみということで、そこが目的とするのは「ゲーム内キャラに自分を憑依させる」のではなく「生身の『自分』が異空間に『見える』世界を経験する」ことなのである。

だから前記事で私が「オンラインRPGなんてRPGじゃねぇ」だの「現実時間の挨拶されると白ける」だのとブツクサ言ってるのはそもそも「お門違い」なわけですね。大変失礼しました。

てなわけで多分今後もしばらくはMMORPGに手をつけることはないかと思います。つかもうFFXIキャラ消されちゃってる可能性高いが。

オンラインRPGでの挨拶が嫌い

なんか前記事で真人間ぶった口調で物を書いてしまったので、私が真人間だと誤解されてはいけないので(←ねーよ)、駄目な記事を書いときます。
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オンラインRPGでパーティーに新規加入した人が碌に挨拶もしなかったら、あなたは不愉快ですか? まぁ大部分の人はそうでしょうね。そんな方々に私から申し上げます。
私はそういう「挨拶をしない人を嫌う人たち」が不愉快です。

「乾杯」ってのは互いの飲み物に毒が入ってないことを示すために互いのカップの中身を混ぜ合う習慣から始まったそうじゃないですか。挨拶だって、初めて会った人に対して「私はあなたの敵ではありませんよ」って意思表示する事が発端じゃないの? そんなの周りの人が手軽に凶器持ち歩いてるような文化圏で必要なことでしょ。文明が発達した現代社会に生きる人間がやることじゃないでしょうに。(あ、凶器持って歩いてる国もあるか。ジュウシャカイとかって前ニュースで見た)

まぁ現実社会では人間関係に齟齬をきたさないように私も挨拶くらいしますよ。朝っぱらでテンション低くて胃がもたれててもね。しかしね、そんな現実社会の枷から逃れたいがために仮想世界に逃避してるのに、なんでそこにまで現実社会の縛りを持ち込むのよ! 何度も言ってるけど。

わかります、わかりますよ。「それくらい常識じゃん」ってね。えぇまぁ私は他人と挨拶もしたくない自閉的な人間なんで。周りに合わせてるからまだいいけど感情外に出したらちょっとした人格障害ですよ。
まぁそんなわけでちょっと極論しましたけど、換言すると「現実社会のルールを優先して、仮想現実世界の雰囲気を壊さないでほしい」ということを言いたいんですよ。だからまぁ最初の一言は「よく来た新しい魔導士よ。我らとともにあの忌まわしい洞窟に巣食う怪物どもを殲滅せん」ぐらい言ってくれればね、いやまぁここまでは無理でしょうけども、つーか私も拙い芝居じみた文句書いて気恥ずかしいですけども。まぁここまでやるのは無理だと思いますけど、せめて一つだけ言いたいのは。

太陽が青空に浮かび、草原が広がるフィールドの中、私は新たな仲間たちの下に駆けつけた。彼らは私を笑顔で迎え、こう語りかけた。
「こんばんはーw」

「こんばんは」じゃねぇだろっつの! もうそれだけで「剣と魔法のファンタジー世界の中で、ここでしかできないゲーム体験をしている」気分は吹っ飛び、「平日の夜中に夜更かししてPCの前でキー打ってる30前の冴えないチビ男」がモニタに映ってるのが見えちゃうんだよ!

だから、「挨拶するなとは言わない。せめてゲーム内時間と合わせてくれ」ということを言わせていただきたいのでした。

(この「現実時間に沿った挨拶をする」ということが、オンラインRPGのプレイ目的をどこに置くのかということとつながってる気がするんですよね。それが「ゲーム内世界の体感」じゃなくて「私的所有の拡大」である以上チャットの方向性も限定されてしまうわけで。そしてそれに慣らされてしまったユーザ達にとっては「ゲーム内キャラになりきれ」ってのはもはや違和感あって無理でしょうけどね。
 それにしても時間にとらわれない挨拶文句って無いもんかね。「どうも」じゃおざなりな気がするし。)

またしてもオンラインRPGへの非生産的な愚痴

 なんか3か月以上も放置して2個目のブログ立ち上げた意味あんのかと思いつつ、タイトルをリニューアルしてよりキモくなって再開しますよ。←露悪趣味もほどほどにしろよ

 例によってまたオンラインRPGに対する愚痴です。また付けなくてもいいいちゃもんを付けていきますよぉ。

 つかね、オンラインRPGは結局のところ「RPG」じゃねーっつー話ですよ。今のオンラインPRGでどんだけの人が「ロールプレイング」してる? まぁそんな何種類もオンラインRPGやってないけどさ、私の経験の限りではオンラインRPGでやることって大体が「レベル高めの人とパーティ組んで狩り」が中核で、しかも低レベル帯だとだとパーティメンバーの半分以上がレベル上げきってやること無い人のセカンドキャラだったりして中の人は神=廃人レベルで、口を開けば「あそこの狩場がいい」だの「タゲってBindして遠隔DD&DoT」だの「今日は○○のnamed狩りましょうか」などと効率最優先の専門用語で会話するし、そんなんじゃいくら見た目が「剣と魔法のファンタジー世界」っぽくったって結局うざったい損得尽くの現実社会の縮図でしかないわけですよ。どこにファンタジー要素があるんだ。見かけは仮想現実の美しい世界なのに行われている会話がこれだとホント幻滅するんですよね。「ロード・オブ・ザ・リング」の映画見てて、登場人物の台詞の字幕の語尾に「だよねw」とか付いてたらもう台無しでしょ? そんな感じ。

 別にファンタジー文学とかに詳しいわけじゃないけど、私がかつて慣れ親しんだドラクエ・初期FFはまさに自分が勇者に「なりきって」、純粋に「ロールプレイ」できたわけです(「だったらオフゲーやってろよ」と反論なさる方はここから先読まないでください)。そうやって想像力を掻き立てながらゲームを進めていくことがとても楽しかった。そしてさらに、「あそこのダンジョンはこうだ」「あの敵はここだ」などと友達と情報交換して、楽しみを倍化させる事できたわけです。

 オンラインRPGが生まれ、「リアルタイム」の概念が導入され、また人間同士が同じ時空間で活動することにより、仮想現実世界がより拡充・精密化し、最初に触れたときは「この世界でどんなにか広く深いゲーム体験ができるんだろう」と驚嘆したものです。しかし、その仮想世界の中で人間たちはより深いゲーム体験の追求のみならず、現実世界の観念である「競争原理」と「私的所有の原理」を持ち込んだ。つまり「より短時間でより多くのものを獲得する」ことに価値を置き始めたわけです。置き始めたっつーかそれを重視するようになってきた。「ストーリー型」から「クエスト型」への転換とも関連するでしょうか。
 これは、それが好きな人には仮想世界の「補完」と見えたかもしれませんが、私にとっては世界観の「破壊」以外の何者でもなかった。現実世界において最も嫌な、逃れられない鎖で我々を縛っている2つの要素を、なんで好き好んで仮想世界でまで味わわなきゃならんのかって話ですよ。
 まぁそりゃドラクエとかだって「低レベルor短時間クリア」なんつー楽しみ方もありますよ。しかしそれはドラクエ内世界の価値観に影響を与えるものではないわけで、それをメインに据えられちゃっても困るわけですよ。ファンタジー小説を読むことにおいて「早く読み切る」「多く読む」事が主な価値なわけではないだろうし。

 こうしてオンラインRPGで「競争による勝利」「私的所有の拡大」、言い換えれば「征服欲の達成」に味を占めちゃった人たちは、「群れ」を作り始める。なぜならその方が競争に有利だから。つーか運営会社も商売の都合上群れを作らせる方向に動いちゃってるし。でもって最初の「効率最優先の会話」につながるわけですが、要はオンラインRPGにおいて価値あるものとされるのが「良質なゲーム体験(ファンタジー体験と言い換えてもいいか)」ではなく「いかに競争に勝利し私的所有を拡大するか」とされる以上、効率重視もパーティ戦重視も小規模コミュニティ重視も当然の流れになってしまうわけです。小規模コミュニティ(ギルド、LS等)が情報すらも私的所有の対象とし、情報がコミュニティ内で完結して世界全体に還元されなくなり、ひいては「高レベルプレーヤ主体」「固定PT主体」に偏っていく。メンバーが黙って辞めれば「断ってから行けよ」と非難する。なぜなら競争に不利になるから。そうなるともはやロールプレイングゲームどころかゲームですらなくなって、現実の資本主義社会の延長そのまんまになってしまう。そして足抜けできなくなって中毒症状に陥り廃人コースをたどるか、燃え尽きて引退、となってしまう。(どうでもいいけどオンラインRPG運営会社と廃人プレーヤって麻薬売人と中毒患者の関係とそっくりですね)

 なんでこうなっちゃうのか。まぁ突き詰めて言うと米国的価値観(フロンティアスピリッツ)に起因する、などと敷衍することもできそうですが措くとして、私としては「ロールプレイング」の復権を唱えたいわけでして。つまり仮想現実における世界観の体験、ドラクエでは為し得なかったリアルな人間との会話。それは「どこの狩場が得」とかじゃなくてあくまで世界観を壊さないように、要はキャラに「なりきって」話してくれればいいわけで、「中の人」を意識させない態度を徹底してくれればいいわけです。まぁ昨今のチャット重視のオンラインRPGに慣らされちゃった人たちにそんな芝居がかった物言いを強制することなんてほぼ不可能でしょうけどね。でもそんなサーバが1箇所くらいあってもいいんじゃないかなぁ、と思ったりする今日この頃。
 ここで以前どこかのサイトで読んだ名言を引いておきます。
「チャットする暇があったら、ゲームしますんで。マジで。」

 なんかこれ以上書いても文脈が破綻しそうなのでやめときます。まぁほとんどが少ない経験に基づく偏見のみで書いてますので、「バカじゃねーのこいつ」と思っておいていただければ幸いです。いつものことですけど。

2007年3月10日土曜日

本能解放の場としてのオンラインコミュニケーション

まぁ先週MMORPG等に対してグダグダ愚痴ったわけだが、もう少し考えを整理した結果以下のような結論に至ったので書き記しておく。

結局、今のMMORPGやSNSがやろうとしていることは、「つながっていたい」という「群れたがる」人々の本能的欲求の達成なのである。つまりベクトルとしてはポルノサイトと一緒である。「Second Life」において一番流行っている街がセックスフリーの街だという事実もその傍証となり得よう。

なのでポルノサイトに毎月金払ってる人がいるように、コミュニケーションのためにFFXIに金払う人たちがいるのも頷ける事である。だがしかし私のようなアンチ「つながっていたい」派からすると、純粋にゲームをやりたいのにそこに変にコミュニケーション要素を付けられても困るわけである。私はドラクエが好きだがドラクエにポルノ要素付けられてもウザいだけなのと同じように。しかしポルノが見たい人にすればポルノがある方が当然attractiveなわけで、そういう人が多数なのであればポルノ要素があるゲームの方が商業的に成功し長続きするのは当然ということである。

ただポルノサイトとコミュニケーションサービスが違うのは、ポルノサイトは「こちらが見るだけ」なのに対し、コミュニケーションサービスはその仕組み上必然的に「こちらも参加しなければいけない」ということである。(最近はポルノサイトもチャットだのライブカメラだのという付加価値を付けてきているが、それはこちら側が「需要」側のみならず「供給」側にも立たなければならない、という意味ではない)

なのでそういった「供給」側にまでは立ちたくない、という私のようなへそ曲がりにとって不要な要素を取り除くためには、「幽霊」としてゲーム世界に参加させてもらえればいいと思うのである。幽霊は会話もせず、ただ世界を彷徨って他の人々の移ろいを眺めるだけである。匿名属性で悪事を働く人と区別するために、ゲーム世界の現象に物理的影響を及ぼすことを一部制限するようにする。そのかわり影響を受けることも少なくする。まさに西欧に言う「Ghost」的存在になるわけである。まぁそれがMMORPGに「参加」している、と言えるのかどうか疑問の余地もあるが、ある程度やれることを残しておけばそれなりには楽しめるような気がするのだがいかがだろうか。

というわけで、成熟した大規模MMORPGであればある程度このようなユーザも受け入れる余力があるのではないかと思うので、運営会社にはご検討いただけないかと思う次第。

追記:別に「ポルノだから『悪』である」とか言うつもりでは一切ありませんので。第一私がやりたいことも「せめてネット上では、社会のしがらみから解放されたい」という欲求に基づくことですから。